開放より2段絞ったところ

徒然なるままに…主にカメラの事を書いていくことになるかと。

思いやりとは?

 1年という留学生活も終盤に差し掛かってきました。この時期になると「実はね…」みたいな話もちょっとずつ出てきたりします。終わりが見えていればちょっとした隠し事とかであれば吐きやすいですもんね...そんな中でこんなことを言われました。

 

「壁紙はこの学校でも指折りのいい人だよってみんな言ってるよ」

 

 素直にうれしかったです。みんなの範囲がどれくらいかは知りませんが…でも問題はそういうところではないんです。

 

 友達には失礼なこともたくさんしてきましたし、正直なんでそういう風に言われるのか心当たりが全くないのです。何か特別なことをしていたわけでもなく、私はただ自分勝手に1年という期間をただただ過ごしていました。勉強は肌に合ったので、ほかの人に教えたりはしていましたが、そういうことをするのは別に私だけではないですし、英語でいえば私は誰よりも後手に回ってもいいくらいだと自覚しています。嬉しいことを言われたのは確かなのですが、全く心当たりがないだけにとても不思議な心境なのです。

 

 思い返せば人が喜ぶことって意外と些細な事であったりしたな、とも思います。母の日に買った高くないマウスパッド。恋人に宛てた短い手紙。ホストに渡したエジプト展のしおり。どちらも大したものではないのですが、当人たちは後生大事に取っておいてくれています。「こんなちょっとしたことなのになんでそんなに大事にしてくれるのかな…」と不思議に思います。

 

 逆に「相手を喜ばせてやろう」と思って準備万端で渡したプレゼント、渡した側のほうが変な気持ちになります。「相手が何をすれば喜ぶかなんて知らないのに、こんなことをしてひとりよがりだ」と思ってしまいます。これ私だけでしょうか?

 

 その「相手が何をすれば喜ぶのかなんて知らない」というのに近いのが調子が悪い人を見たときとか。上着を貸してあげたり、持前の薬を上げたりしてみますが、何が正解なのか分からない。生理中の女の子は特にわかりません、我々男衆はそういうものを経験したことがないので…。とりあえず温かい飲み物を上げたり、背中をさすってあげたりしてみますが、本人はいたって辛そう。どうしていいのか分からなくなってただただ心が痛みます。

 

 人が「思いやられてるな」と感じるのは「何かもらった」とかいう多分結果じゃなくて、どういう気持ちで向き合ってくれたのかというところなのでしょうか。同じことをされるのでも嫌な顔を見せられるのではこちらも嫌になります。その思いやりの過程っていうのは目には見えませんが、人というものはそれがなぜか目に見えるように感じるのですね。不思議ですが。

 

 だとしても私が優しい人間だとか言われるのは何かの間違いだろうと思います。人を手伝うときもどこかで「こんなことしてる自分偉い!」っていう気持ちがあります。それって結局人のために何かしてあげているわけではなくて承認欲求を自分で満たしてるだけですよね。ひとりよがりそのもの。こういう裏の気持ちは相手にはあまり見えないものなのでしょうかね?

 

 私の将来の夢は起業家になることです。理由は単に企業勤めは向かないだろうなというのと、自分の道で何かを果たしてみたいなと思うからです。しかし私にはいろいろ不足している点があります。例えば「何をすればどう思うか」ということを読み取る力とか。ほかの人の気持ちには鈍感というか…分からないのです。こういうのも多分人と話すのが苦手ゆえの結果なのでしょう。ほかの人の気持ちを共有する機会が少なければ知る由もないわけですから…。

 

 この話に結論らしい結論はないです。乱筆乱文です。自分でもはっきりしないところが多いので。今回はそんな判然としない気持ちをまとめるための備忘録的な感じです。ここまで読んでくれた人がいたら、お疲れさまでした…。